マタニティハラスメントとは?企業が知るべき定義・原因・リスク・対策
2025年 9月 16日

マタニティハラスメント(以下、マタハラ)は、時に個人の人間関係の問題として捉えられがちです。
しかし、マタハラが放置されると、法的リスクや優秀な人材の流出、企業ブランドの毀損といった、見過ごすことのできない深刻な事態を招く可能性があります。マタハラは、企業の健康経営や女性活躍推進を阻む、重要な経営課題であると認識すべきでしょう。
本記事では、マタハラの法的定義から、その根本的な原因、企業に及ぼす影響、そして実効性のある防止策と問題発生時の対応手順まで、多角的な視点から詳細に解説します。マタハラを正しく理解し、健全な組織文化を育むための羅針盤としてご活用いただければ幸いです。
マタニティハラスメントとは?法的定義と2つの類型
法律上の正式名称とマタハラの定義
マタハラという言葉は社会的に広く浸透していますが、法令や国の指針においては「職場における妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント」という正式名称が用いられています。この名称は、マタハラが単なる個人的な嫌がらせではなく、職場環境全体の問題として、法的に定義されていることを示唆しているのです。
このハラスメントは、女性労働者が妊娠・出産・育児に関連する制度を利用したり、そのような状況にあったりすることを理由として、職場で受ける嫌がらせや不利益な取扱いを指します。この定義に含まれる労働者は、正社員に留まらず、パートタイム労働者や派遣労働者なども対象となります。このことから、企業は雇用形態にかかわらず、全ての女性労働者の就業環境を守る義務があると考えられます。マタハラは、被害を受けた労働者の心身の健康や仕事へのモチベーションに深刻な影響を及ぼし、企業にとっても優秀な人材の離職という大きな損失につながります。
制度利用への嫌がらせ型マタハラとは
マタハラには大きく分けて2つの類型があります。一つは「制度利用への嫌がらせ型」です。これは、男女雇用機会均等法や育児・介護休業法で定められた、妊娠・出産・育児に関する制度を利用しようとする、あるいは利用した労働者に対して、嫌がらせをする行為を指します。
例えば、以下のような言動がこれに該当します。
- 産前産後休業の取得を相談した際に、「他の人を雇うので早めに辞めてもらうしかない」と退職を促す。
- 育児休業の取得を希望する従業員に、「休みを取るのであれば退職してもらう」と圧力をかける。
- 育児のために短時間勤務を利用している従業員に、「仕事が楽で羨ましいな」と嫌味を言う。
- 妊婦健診のための休暇申請に対し、「病院は休みの日に行くものだ」と応じない。
これらの行為は、労働者の当然の権利である制度利用を不当に妨害するものであり、事業主は、これらの制度が利用しやすい環境を整備する義務を負っているのです。
状態への嫌がらせ型マタハラとは
もう一つの類型は「状態への嫌がらせ型」です。これは、妊娠や出産という個人の状態そのものを理由に、就業環境を害する言動や不当な扱いを指します。
例えば、以下のような言動がこれに該当します。
- 「よりによって、どうしてこんな忙しい時期に妊娠をするんだろうか」と嫌味を言う。
- 「妊婦は戦力にならない。雑用を担当してくれるだけで良い」と過小評価する。
- つわりで体調が悪い従業員に「つわりは病気じゃない」と言って配慮しない。
- 過度な量の仕事を与えたり、逆に仕事を与えなかったりする。
ただし、客観的に見て業務上の必要性に基づく言動はマタハラに該当しない場合があります。例えば、安全配慮の観点から「つわりで体調が悪そうだが、少し休んだ方がよいのではないか」と助言するような場合は、ハラスメントには当たりません。重要なのは、相手の尊厳を傷つけたり、不当な扱いをしたりする意図がその言動に含まれているかどうかでしょう。
マタハラの原因と背景
マタハラは、一部の従業員による個人的な問題として片付けられがちですが、その根底には組織的な要因が複雑に絡み合っています。連合の調査(2014年)によると、マタハラが起こる原因の第1位は「男性社員の妊娠出産への理解不足・協力不足」で、これは66.1%という高い割合を占めています。この背景には、「男性や女性はこうあるべきだ」といった性別への強い固定観念や、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)が影響していると考えられます。
しかし、問題は個人の意識に留まりません。同じ調査で、第2位に「フォローする社員への評価制度や人員増員などケア不足」が挙げられています。これは、育児中の従業員が休業や時短勤務を利用する際に、その業務のしわ寄せが他の従業員に集中し、不公平感が生まれることと深く関連しているでしょう。このような状況は、マタハラ行為を誘発する温床となり、組織全体に悪影響を及ぼしかねません。
マタハラが発生しやすい職場の雰囲気や環境
マタハラが発生しやすい職場には、いくつかの共通した特徴が見られます。
・残業が多い、休暇を取りづらい文化がある。
・上司と部下のコミュニケーションが少ない、あるいはない。
・従業員の属性(年代、性別、子の有無など)に偏りがある。
こうした環境では、妊娠・育児中の従業員が体調不良で休んだり、早く帰ったりすることに対し、周囲の従業員は「自分たちの業務負担が増えた」と感じやすくなります。この不満が積み重なると、次第に態度や言葉に現れ、マタハラへとつながっていくのです。
さらに、この不満やハラスメントは、個別の事象にとどまらず、職場全体に「伝染」する危険性も指摘されています。ある従業員がマタハラの被害を受けても会社が適切な対応を取らない場合、その状況を見ていた周囲の従業員は「この会社では、妊娠や育児をしながら働くのは難しい」と感じ、いずれは自らも離職を考えるようになります。マタハラは、単に特定の個人の問題を解決すれば済むものではなく、職場の文化そのものを健全に保つための、継続的な取り組みが求められる課題と言えるでしょう。
マタハラが企業にもたらす法的・経営的リスク
法的リスクと裁判事例
マタハラは、男女雇用機会均等法第9条や育児・介護休業法第10条に違反する不利益な取扱いとして、企業が法的責任を問われる可能性があります。具体的には、妊娠・出産を理由とした解雇や降格、雇い止めなどが法律で厳しく禁止されています。特に、男女雇用機会均等法第9条4項では、妊娠中および出産後1年を経過しない女性労働者に対する解雇は原則として無効と定められています。
実際に、企業が法的な責任を問われた裁判事例は少なくありません。
事例1:妊娠中の同意なき退職扱い
概要:妊娠中の女性従業員が休職した後、本人の同意なく退職扱いとされた事案です。
判決:東京地裁立川支部は、会社に対し、未払い賃金と250万円の慰謝料の支払いを命じました。この判決は、妊娠した従業員の退職は本人の合意のもとに行われるべきであり、強要や無断での退職扱いは許されないことを明確に示しています。
事例2:育休復帰直前の保育士を解雇
概要:育児休業から復帰予定の保育士が、復帰直前に解雇を言い渡された事案です。
判決:裁判所は、不当な解雇期間中の賃金や育児休業給付相当額、30万円の慰謝料の支払いを命じました。この事例が示すのは、解雇が妊娠・出産を理由としたものではないことを企業が証明できなければ、法律違反とみなされるリスクがあるということです。
これらの裁判事例は、マタハラ問題がひとたび顕在化すれば、企業は多額の賠償金や未払い賃金の支払いを命じられ、深刻な財務的打撃を受ける可能性があることを証明しています。予防策を講じることは、これらの重大なリスクを回避するための不可欠な「投資」であると言えるでしょう。
企業ブランドの毀損と優秀な人材の流出
マタハラがもたらす影響は、法的なリスクに留まりません。被害を受けた女性労働者は、精神的・肉体的な苦痛を抱え、ストレスが切迫早産や流産につながるリスクも指摘されています。しかし、被害は当事者だけにとどまりません。マタハラは、その状況を見ていた周囲の従業員にも悪影響を与え、企業の評判や信頼性を著しく損なう結果を招きます。
健全な職場環境を求める優秀な人材は、マタハラが放置されている組織から離れようとする傾向が強いでしょう。マタハラが原因で従業員が離職すると、企業は貴重なノウハウや人的資本を失い、採用や育成にかかるコストが増大します。これは、単なる損失ではなく、企業の競争力を削ぐ深刻な経営課題です。多様な人材が活躍できる職場環境の整備は、企業の持続的な成長と発展に不可欠であると認識すべきです。
マタハラ防止対策と具体的な進め方
法律で定められたマタハラ防止義務
男女雇用機会均等法や育児・介護休業法の改正により、2017年1月1日から、企業にはマタハラ防止措置が法的に義務付けられています。これは、雇用管理上、ハラスメントが起きないように必要な措置を講じる責任が企業にあることを意味します。
企業が講ずべき具体的な措置は、厚生労働省の指針によって以下の5つに整理されています。
1.事業主の方針等の明確化・周知・啓発
マタハラは許されない行為であることや、懲戒処分の対象となることを就業規則などに明確に定め、従業員全員に周知します。
2.相談・対応体制の整備
マタハラやセクハラなど、あらゆるハラスメントの相談に一元的に応じられる窓口を設置します。
3.迅速かつ適切な対応
マタハラが発生した場合、事実関係を迅速かつ正確に把握し、被害者への配慮、加害者への適切な措置、再発防止策を講じます。
4.背景要因を解消するための措置
妊娠・出産・育児と仕事の両立がしやすいように、業務体制を整備します。
5.プライバシー保護などのルールの周知
相談した労働者や関係者のプライバシーを保護し、相談を理由とする不利益な取扱いをしないことを明確にします。
実効性のあるマタハラ施策例
法律で定められた義務を形式的に満たすだけでなく、実効性のある対策を講じることが、健全な職場環境を築く上で不可欠です。
研修の実施
・管理職だけでなく、非正規雇用労働者やパート・アルバイトを含む全従業員を対象とした研修を実施します。
・研修では、マタハラの定義や具体例に加え、妊娠・出産・育児に関する正しい知識や、無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)について学ぶ機会を設けます。
・具体的な事例を用いたケーススタディやグループワークを取り入れることで、参加者が当事者意識を持ってマタハラを自分事として考えることができるでしょう。
働きやすい環境の整備
・時短勤務やフレックスタイム制度、テレワークなど、多様な働き方を導入します。これにより、子育て中の従業員がライフスタイルに合わせて柔軟に働くことが可能になります。
・従業員同士が「ありがとう」と感謝を伝え合う文化や、心理的安全性の高い職場環境を醸成することで、困ったときに気軽に相談しやすくなり、周囲の不公平感を軽減する効果も期待できます。
マタハラの根本原因である「理解不足」や「業務過多」を解消するためのこれらの施策は、マタハラ防止に直結するだけでなく、企業の健康経営や女性活躍推進の目標とも一致するでしょう。マタハラ対策は、特定の従業員のためだけのものではなく、組織全体の生産性と従業員満足度を向上させる普遍的な価値を持つ取り組みであると言えます。
マタハラの相談窓口の役割と対応手順
マタハラ相談窓口の適切な活用と運営
マタハラ防止策を講じていても、問題が発生する可能性はゼロではありません。問題発生時の適切な対応が、企業の法的リスクを最小限に抑え、従業員との信頼関係を維持するために不可欠です。企業には、従業員が気軽に相談できる窓口を設置する義務があります。この窓口は、人事労務部門や社内相談員、外部の弁護士やカウンセラーなど、多様な選択肢が考えられます。
相談窓口の実効性を高めるためには、以下のポイントを押さえることが重要です。
秘密保持の徹底:相談内容は厳守されることを明確に伝えます。
不利益取扱いの禁止:相談したことを理由に、人事評価の低下や解雇といった不利益な扱いを受けないことを約束します。
適切な担当者の配置:相談対応は非常にデリケートなため、対応マニュアルを整備し、担当者に対する研修を定期的に行うことが望ましいです。
多くの企業では、ハラスメント相談窓口を人事や総務の担当者が兼任していますが、担当者が相談対応に不慣れであったり、相談者が「社内の人に相談しづらい」と感じたりする場合があります。相談内容が適切に対応されなかった場合、企業は法的紛争に巻き込まれるリスクが高まりますので、社内のリソースが不足している場合は、外部の専門機関への委託も有効な選択肢でしょう。これにより、専門家による公平かつ中立的な対応が期待でき、企業の法的リスクを軽減できると考えられます。
マタハラ相談を受けた際の対応フロー
マタハラの相談を受けた場合、以下のステップで対応を進めます。
1.事実確認:まずは被害者から、いつ、どこで、誰が、何を言ったか、強要されたかなど、具体的な事実関係を詳細にヒアリングします。
2.関係者へのヒアリング:次に、加害者や目撃者など、関係者にも公平かつ中立的な立場でヒアリングを行います。この際、被害者が加害者へ相談したことを知られたくないなど、要望を事前に確認することが大切です。
3.当事者への処分とフォロー:マタハラが事実であると確認された場合、加害者に対しては、行為の悪質性に応じて懲戒処分や配置転換などの適切な措置を講じます。被害者に対しては、加害者から隔離するための措置や、精神的なケアを含めたフォローを行います。
4.再発防止策の検討と実施:問題が解決した後も、なぜマタハラが起きたのかを分析し、組織的な原因を解消するための再発防止策を検討し、実行します。これは、研修の再実施や業務体制の見直しなど、多岐にわたる可能性があります。
マタハラ問題は、発生後の対応によって、企業の信頼を失うか、あるいは信頼を高めるかに大きく分かれます。事実確認のプロセスで当事者のプライバシー保護を怠ったり、加害者への措置が不当であったりすると、さらなる労働問題を引き起こしかねません。専門的な知識を持つ弁護士や社労士に相談し、慎重かつ適切な対応を進めることが、企業にとって最良の選択でしょう。
まとめ
マタニティハラスメントは、単なる個人的な「嫌がらせ」ではなく、法令で禁止された「不利益な取扱い」を含む、企業が向き合うべき重要な経営リスクです。マタハラの背景には、社員の理解不足、組織のコミュニケーション不足、そして過剰な業務負担といった構造的な問題が潜んでいます。これらの課題は、マタハラを助長するだけでなく、企業全体の生産性や従業員エンゲージメントを低下させる原因にもなるでしょう。
しかし、見方を変えれば、マタハラ対策は、これらの構造的な課題を解決し、企業価値を高めるための絶好の機会でもあります。就業規則の整備、全従業員を対象とした研修、そして多様な働き方を許容する文化の醸成は、マタハラを未然に防ぐだけでなく、健全な組織風土を築き、優秀な人材の確保と定着につながるはずです。
マタハラ防止は、法律遵守の義務であると同時に、企業が持続的に成長するための不可欠な経営戦略であると言えるでしょう。