「その数字はどこから?」に即答する|人事データの出典管理と監査対応

2026年 9月 14日

監査法人の担当者から、有価証券報告書の男性育児休業取得率について「この分母はどの資料から取ったものですか」と聞かれる。IRからは、統合報告書の女性管理職比率が有価証券報告書と0.3ポイント違う理由を聞かれる。答えは前任者のExcelの中にあるはずだが、どのファイルの、どのシートの、どの行かは分からない。

人的資本の数字は会計監査の対象ではありません。監査人は「その他の記載内容」として通読し、財務諸表との重要な相違がないかを見るだけで、数字の正しさを保証しません。だからこそ、数字の出典を残す仕組みは社内にしかありません。この記事では、監査人、保証業務実施者、IR、経営層が実際に投げる問いを起点に、元ファイルの行まで遡れる出典の残し方と、問い合わせに即答できる台帳の作り方をまとめます。

誰が、何を聞いてくるか

人的資本の数字について、社外と社内から来る問いは、だいたい4種類です。

誰が何を聞くか答えに要るもの
監査人(その他の記載内容の通読)財務諸表の従業員数や人件費と整合しているか。前年から大きく動いた理由は何か分母の定義、前年との差の要因
保証業務実施者(第三者保証)定義は文書化されているか。元データから開示値まで再現できるか。承認は誰がしたか定義書、抽出条件、スナップショット、承認記録
IR・経営企画届け先ごとに数字が違う理由。株主総会で聞かれたときの答え開示先マップ、定義差の注記
取締役会・監査役目標との差の要因。数字の信頼性要因分解、確認の記録

会計監査の枠組みでは、監査人はこれらの数字に意見を表明しません。監査報告書には、その他の記載内容に対して意見を表明するものではない、という一文が入ります。人的資本の数字の誤りは監査では止まらず、訂正報告書として5年間残ります。何が起こるかは「有価証券報告書の訂正報告書|人的資本の数値誤りが起きたときに何が起こるか」にまとめました。

人事データの出典を「行まで」残す

出典管理の到達点は、開示した数字1つごとに、元データのどの行が分子と分母に入ったかをたどれる状態です。要素は4つです。

  1. 定義書。 指標ごとに、算出式、法人と従業員の範囲、法令の定義と自社制度の対応表、対象時点、抽出条件、端数処理を書いた1枚。作り方は「人的資本の指標定義レジストリのつくり方|「何を・どの範囲で数えるか」を社内で固定する手順」で解説しています。
  2. 抽出条件を言葉で。 「在籍区分が在籍、かつ等級がM2以上、かつ基準日時点で休職していない」のように、別の人が別のツールで再現できる形に書きます。Excelの関数の中に埋まった条件は、出典になりません。
  3. スナップショット。 基準日時点の抽出結果を、開示値と一緒に保存します。人事システムは日々更新されるので、後から同じ条件で抽出しても同じ結果になるとは限りません。行ごとに、分子に入ったか、分母に入ったか、除外したかとその理由を持たせます。
  4. 対応の1行。 開示した数字ごとに、どの定義書のどの版で、どのスナップショットから、誰が承認して出したかを台帳に書きます。

この4つがあれば、「この分母はどの資料から」という問いに、定義書の該当項目とスナップショットの行を示して答えられます。なければ、前任者のExcelを開いて関数を読み解くところから始まります。

実務では、3のスナップショットが最も抜けやすい要素です。人事システムから開示のたびに抽出し直す運用では、退職者の削除や等級の遡及修正で、同じ条件でも前回と違う結果が出ます。基準日の抽出結果を、開示値と同じフォルダに、同じ名前の規則で保存する。この一手間が、翌年の問い合わせにかかる時間を数日から数分に変えます。

届け先ごとの数字を、1つの台帳に

出典管理が難しくなるのは、同じ指標を複数の届け先に出すときです。有価証券報告書、女性活躍推進法のデータベース、健康経営度調査、統合報告書、ESG評価機関の質問票。届け先ごとに定義が違えば数字も違い、どれが正しいのかという問いが起きます。

台帳は、縦に指標、横に届け先を取り、各セルに「数値、定義書の版、スナップショット、承認者、提出日」を入れます。同じ行で数字が違うセルは、定義書の版が違うかどうかで、定義差か要確認かに分かれます。定義差なら注記の文例をセルに添え、要確認なら原因を特定して記録します。この分け方は「人的資本開示で数値が不一致になる理由|有報・女活法・健康経営度調査の算定範囲と定義差」で詳しく扱っています。

グループ会社の数字は、各社の台帳を親会社が集約します。子会社ごとに定義書の版が違えば、親会社の有価証券報告書に並ぶ数字は意味が違います。集約の手順は「有価証券報告書の人的資本を連結・グループで出す|子会社を含めた集計と2026年4月の公表義務拡大」をご覧ください。

監査人と保証業務実施者に、何をどの順で見せるか

問い合わせが来てから探すのでは間に合いません。監査人の質問は決算作業の最中に来て、回答の期限は数日です。次の順に並べた1式を、開示のたびに作っておきます。

  1. 開示した数字の一覧(届け先別の台帳)
  2. 指標ごとの定義書(現行版と、前年からの改定履歴)
  3. 抽出条件と、基準日のスナップショット
  4. 前年との差の要因分解(定義変更の影響と、実際の変化)
  5. 承認の記録(誰が、いつ、何を根拠に)

保証業務実施者が確かめると考えられる点は、定義の一貫性、母数と分子の抽出条件、再現性、変動の説明、承認の記録の5つです。この1式は、その5つに順に答える形になっています。保証を見据えた準備は「SSBJ基準の第三者保証に備える人的資本データ|2027年3月期までに整える3つのこと」と「SSBJ基準と人的資本開示|2027年3月期からの適用で女性活躍3項目はどう扱われるか」で扱っています。

監査人のその他の記載内容の通読は、保証ではありませんが、財務諸表の従業員数や人件費と人的資本の数字が整合していないと、質問が来ます。有価証券報告書の従業員数(就業人員)と、女性活躍推進法の常時雇用する労働者数は定義が違うので、その差を説明できる1行を用意しておきます。

個人が特定される数字を、出典に残さない

出典を行まで残すと、個人のデータを扱うことになります。行レベルのスナップショットは、閲覧できる人と用途を限定して保存します。開示や社内報告に出す集計値は、少人数の区分で個人が特定されないよう、10人未満の集計を表示しないなどのルールを決めます。子会社の女性管理職が3人なら、その比率を公表することで誰のことかが分かる場合があります。

出典管理は、数字の根拠を残すことと、個人を守ることを同時に満たす必要があります。行まで遡れるが、誰でも見られるわけではない。この2つを分けて設計します。具体的には、行レベルのスナップショットは人事の限られた担当者だけが開ける場所に置き、監査人や保証業務実施者には必要な行だけを抜き出して見せ、経営層向けの画面には集計値だけを出します。

よくある失敗

  • Excelのファイル名を出典とする。 ファイルの中のどのシートのどの行が分子と分母かが分からなければ、出典になりません。
  • スナップショットを残さず、後から再抽出する。 人事システムの更新で結果が変わり、開示値を再現できません。
  • 届け先ごとの数字を別々の場所で管理する。 有価証券報告書とデータベースの数字が違う理由を、聞かれてから探すことになります。
  • 承認の記録がない。 誰が確認したかが分からない数字は、監査人にも保証業務実施者にも説明できません。
  • 行レベルのデータを共有フォルダに置く。 個人が特定されるデータの管理が、出典管理の副作用として問題になります。

Floraの支援:元ファイルの行まで遡れる基盤

Flora株式会社の「CapLead」は、グループ各社の人的資本の数字を一つの基盤で管理するデータ基盤です。各社が投入したExcel・CSV・PDFを、元ファイルの行まで遡れる出典として保持し、指標ごとの定義レジストリと結びつけ、届け先ごとに「どの数値を・どの根拠で」出したかを一覧にします。食い違う値は自動で選ばず出力から外し、確認中のキューに入れます。10人未満の集計は画面にも出力にも出ません。

監査やIRからの「この数字はどこから」に、その場で答えられる状態を作ります。まず30分、貴社グループの開示フローをお聞かせください。

まとめ

人的資本の数字は会計監査の対象外で、正確さを担保する仕組みは社内にしかありません。監査人、保証業務実施者、IR、取締役会からの問いに即答するには、指標ごとの定義書、言葉で書いた抽出条件、基準日のスナップショット、開示値との対応の1行という4つの要素で、元データの行まで遡れる出典を残します。

届け先ごとの数字は1つの台帳に集め、定義差と要確認を分けます。監査人と保証業務実施者には、台帳、定義書、抽出条件とスナップショット、要因分解、承認記録の順に見せる1式を、開示のたびに作っておきます。行レベルのデータは閲覧者と用途を限定し、少人数の集計は表示しません。

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